ネルソン・マンデラ氏死去

 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が12月5日、死去しました。95歳でした。南アフリカの反アパルトヘイト運動の不屈の闘志であり、1993年のノーベル平和賞受賞者でもあるマンデラさんについてはすでに訃報とともに沢山の報道がなされています。ここでは彼がHIV/エイズ対策にも不屈の姿勢で臨んでいたことをお伝えするため、少し古くなりますが、2008年5月17日のSANKEI EXPRESS紙に掲載された宮田一雄記者の連載「エイズと社会」第29回《「46664」は希望の番号?》を紹介します。(自作自演のそしりは免れませんが、少々取り乱しており新しいものを書く余裕がないので、悪しからずご了承ください)



◎エイズと社会29 「46664」は希望の番号? (2008年5月17日)

 エイズに関する海外のニュースサイトを調べていたら、ロンドンのハイドパークで6月27日、南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領が90歳になるのを記念して、「46664」コンサートが開かれるというお知らせが出ていた。

 「46664」は南アがアパルトヘイト(人種隔離)政策をとっていた当時、黒人解放運動の指導者として、27年間もの獄中生活を送っていたマンデラ氏の囚人番号である。

 私がこの数字を知ったのは、2004年7月16日、タイのバンコクで開かれた第15回国際エイズ会議の閉会式だった。マンデラ氏はその2週間ほど前に政治活動からの引退を発表していた。南アの大統領を退いてからも、地球規模のエイズとの闘いでは常に先頭に立って活躍してきたが、高齢でもあり、さすがにバンコク会議への出席は困難だろうとの予想が事前に流れていた。

 実際に7月11日の開会式にはマンデラ氏の姿はなかった。

 ところが、閉会式2日前の14日、マンデラ氏は突然、会場に杖をつきながら現れ、記者会見を行って「アフリカではエイズと結核の両方に苦しむ人が多い。結核は治療できるので、もっと結核対策に力を入れるべき」と語った。

 さすがに長い苦難の時代を生き抜いた英雄である。サプライズ記者会見は世界中から集まった2万人の会議参加者の心をぎゅっとつかみ、国際エイズ学会(IAS)の次期会長として会見に同席したアフリカ系米国人女性のヘレン・ゲイル氏などは、伝説の人物と同席し、すっかりあがってしまった様子だった。

 マンデラ氏は閉会式にも杖をついて登壇し、次のように演説した。

 《私はすでに年老いた年金生活者であり、公的な仕事からの引退を表明しています。しかし、エイズとの闘いは21世紀初頭の世界が直面する最大の課題の一つです。地球規模の対策がこの流行の流れを十分に変え得ると確信できるようになるまで、休むわけにはいきません》

 割れんばかりの大拍手の中で、マンデラ氏は演説を続け、「46664」キャンペーンについて説明した。この囚人番号は前年の03年11月、エイズ対策への理解を呼びかけ、U2のボノ、クイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーら多数のミュージシャンが参加して南アのケープタウンで開かれたコンサートのタイトルでもあった。

 《人種差別体制がいかにして私たちを囚人番号に変え、人間性を奪おうとしたか》。マンデラ氏はこう語り、次のように呼びかけた。

 《世界は私たちのことを忘れていないという認識に支えられ、私は生き延びました。エイズに苦しむ何百万もの人がいることを忘れないでほしい。その人たちを単なる数字に変えないでほしい》

 46664コンサートはその後、05年と07年の世界エイズデー(12月1日)にも開かれている。

 マンデラ氏の誕生日は7月18日。その3週間前に開かれる今度のコンサートもまた、エイズと闘う46664キャンペーンの資金集めイベントという位置づけである。4年前、マンデラ氏は閉会式演説を次のように締めくくっている。

 《明後日、7月18日は私の86歳の誕生日です。社会のすべての分野の指導者がエイズと闘うために必要な行動を緊急に起こす決意を新たにするなら、それに勝る誕生日の贈り物はありません。何が必要なのかはもう分かっています。欠けているのは意思です。私が早く引退生活を過ごせるようにしてください》

 90歳記念コンサートには、マンデラ氏も久々に姿を見せる予定だという。そうせざるを得ない世界の現実がいまなお続いているということでもある。